「どうしても制度」ー民主主義をアップデートするー(前編)

「どうしても制度」ー民主主義をアップデートするー(前編)

2021年8月4日 教育

スクールディレクターの蓑手です。

今回は、私が公立小学校時代から実践してきて、HILLOCKでも取り入れようと話している「どうしても制度」について、前後編に分けて書いてみようと思います。

前編は「どうしても制度が生まれる背景と思い」です。

目次
今の日本の民主主義って理想?
教育の責任=可能性
多数決の暴力性
多数決が絶対正しいとは限らない
多数決すら存在しない学校教育
今の日本の民主主義って理想?
今の日本を見渡してみると、大人も子どもも、無気力な人が目立つ気がします。

2019年に日本財団が行った「18歳意識調査」では、「自分は責任がある社会の一員だと思う」にYESと答えた割合は、インドや中国、イギリスの半分以下。

「自分で国や社会を変えられると思う」の項目では、1つ上の順位の韓国にさえ倍以上の差を開けられ、最も高いインドに関しては4.5倍以上の開きが確認されました。

もちろん、すべての項目において日本は9カ国中ダントツの最下位です。

2020年にユニセフが行った「レポートカード16」の中の子どもの幸福度調査では、先進国38カ国中「身体的健康」では1位にも関わらず、「精神的幸福度」では37位という、あまりにちぐはぐな結果となりました。

公益財団法人「明るい選挙推進協会」の調べでは、令和元年の参議院選挙で投票率の低い順から20代が30%、10代が32%、30代が38%、40代が45%と、若いほど政治離れが加速している現状が見て取れます。

SNS等での匿名による炎上も日常茶飯事で、痛ましい事件にさえ発展している現状。

口を開けば不平不満、「どうせ無理」「やっても意味ない」「あいつだけずるい」「楽するなんてけしからん」なんて言葉がそこかしこから聞こえてきそうです。

こんな民主主義を、私たちは理想としてきたのでしょうか?

教育の責任=可能性
なぜこんな国になってしまった(もちろん、いいところもたくさんありますが!)のかと考えると、文化や国民性もあるとは思いますが、やはり教育の結果が大きいよなぁと感じるわけです。

言い換えれば、「教育が変われば国も変わる!」という可能性でもあります。

その一つが「多数決」。

多数決自体は、民主的な決定方法の一つとして絶対悪ではありません。

しかし、教育の場において、あまりに多数決が濫用されていると感じるのです。

例えばリーダー決め。やりたい・やりたくないが加味されることはあるものの、投票による多数決で決められることが多いです。

お楽しみ会での遊びや文化祭の出し物決め。これも大抵投票による多数決で決められているのではないでしょうか。

日常的にも「いいと思う人ー?」などと尋ね、まるで総意でもあるかのように価値観を押し付けられたりします。

この多数決を、合意無く「正義」としてやってしまっているのが学校です。

多数決の暴力性
私は、特別支援学校で4年間勤務をしました。

そこには知的障害児とレッテルを貼られた子どもたちがいました。

その中の多くの子が、入学当初は「みんなと同じ学校で学びたかった」というのです。

多くの親が「みんなと同じ、普通の幸せをつかんでほしい」というのです。

なぜそれができないのでしょう?

他の人より知的な能力が劣っているからでしょうか?

いえ、違います。

その願いが届かない理由は、知的障害者が少数、マイノリティだからだと思うのです。

考えてみてください。もし知的障害者が全国民の8割だったら?

知的に秀でた(という言い方は好きではありませんが)人がマイノリティ、もしかするとそちらが障害と呼ばれるかも知れません。

今ある学校はすべて特別支援学校になるのではないでしょうか。

知的障害があって当たり前、そんな社会や世の中になっているのではないでしょうか。

少数派の意見は届かないし、届いてもなかなか聞き入れてもらえない。

そんな多数決の暴力性を、特別支援学校で感じたのです。

多数決が絶対正しいとは限らない
また、私の個人的な経験もきっかけとなっています。

かくいう私も、小さい頃から考え方や特性からマイノリティになることが多くありました。

「どうせ無理」と思っていたし、なるべく周りに合わせようと努力してきました。

教師になり、ICT connnectという団体が主催する「先生発ハッカソン」というイベントに参加した時のことです。

教師が学校で役立つテクノロジー活用のアイデアを考え、企業の方とコラボして製品を開発するという大会でした。

私ももちろんアイデアを考えましたが、チームを作る段階で惜しくも予選落ちしてしまったのです。

その予選の方法は投票、つまり多数決でした。

結果が発表された後、主催者からこんな提案がなされました。

「予選に残れなかったけど、是非自分のアイデアを採用したい、という先生はいらっしゃいますか?」

気が付いたら手を挙げていました。自分でもびっくりです。

私は、どうしても自分のアイデアを試してみたかったのです。

特別枠として、チームを作る権利をいただきました。

そして決勝当日。

審査員や大勢の人の前で発表をし、見事私たちのチームはグランプリを勝ち取ったのでした。

あそこで手を挙げなければ、そしてそれを取り合ってもらっていなければ、私のアイデアは日の目を見ることはありませんでした。

多数決は絶対正しいとは限らない。

量よりも、一人の思いが素晴らしい物を生み出すことがある。

そんな実体験をすることができました。

多数決すら存在しない学校教育
学校では、多数決で決められることさえごく一部です。

教育を取り巻く環境のほとんどは、大人や、大人が作った制度によって決められています。

校則、時間割、授業、態度。

そこには多数決すら存在しないのです。

こんな環境にさらされ続ければ、誰だって「どうせ無理」「言うだけ無駄」「変えられるわけない」って思いますよね。

小さな教室の、身の回りすら変えられないのに、国を変えられるなんて思えるはずがありません。

民主主義って、国民一人一人が主体的に政治に関与できる主義ですよね?

それが今の教育は、結果として「何も言えない」国民を育てているのです。

思ったより長くなってしまいました。w

前編はここまでとし、後編では「どうしても制度」の具体的内容について触れていこうと思います。

よければスキやフォローいただき、後編にご期待ください!