【HILLOCKのヴィジョン⑥】ケアで居心地の良さを作り合う
今回はHILLOCKにおけるスクール憲法「ヒロック宣言」の第4条解説です。
全文はこちら。
4.(関わりの定義②)シェルパ、コゥ・ラーナーは1・2を実現するためにそれぞれケアし合い、少数の声なき声を大切にし、居心地の良い関わりをともにつくりあう。
繰り返しになりますが、シェルパとは学校でいうところの教師、コゥ・ラーナーとは児童にあたります。
1は「(場の定義)HILLOCKはコゥ・ラーナーそれぞれの福利を未来に向けて拡張し続けるための場である。」
2は「(個の定義)シェルパ、コゥ・ラーナーはそれぞれかけがえのない個人として対等であり、公正に扱われる。」
それぞれケアし合い
Care(ケア、心遣い、配慮)は、私たちが大切にしたい「3つのC」の1つでもあります。
大人が子どもにマウントをとるのではなく、逆に子どもにおもねるのでもない。
対等な立場として、互いに幸福や利益、自由を作り合い、そして対等であり続けられるように意識する。
それがケアの精神だと思うのです。
自分の利益ばかり最優先することを「自由」と履き違えてしまうと、結局奪い合いが起こり、めぐりめぐって自分の自由は実現できないものになる。
「天国と地獄の長いスプーン」という話をご存知ですか?
地獄にも天国にも、机の上にはごちそうが山ほどあるそうです。
しかし、地獄の住人はみんなガリガリで常に空腹、一方の天国はみんなが満腹で和気あいあい。
なぜだと思いますか?
そこでは、長いスプーンしか使えないそうです。
地獄では、自分で食べることばかり考えているから、長いスプーンではいつまで経っても食べられない。
一方の天国では、互いに食べさせ合うから、みんな満足できるということでした。
本当に食べたいものがあれば、互いに食べさせ合うことが実現への道。
理解しきれない他者の気持ちを、それでも理解しようとし続けること。
そこでわかりあえること、実はそれ自体がすでに幸せなんですよね。
そこに利益もついてくる。そんなイメージです。
少数の声なき声を大切にし
もちろん、声を挙げることは大切です。
今日の日本の大人は、声を挙げるべきところで挙げず、裏で文句ばかり言うことも多いので…
しかし、やはり声を挙げられない立場の人はいます。
そして、その環境を作り上げているのも、やはり社会です。
少数だからで、絶対に切り捨てない。
それでも声が上げにくい立場の人がいることを理解する。
そんな立場の人の代弁をする。
外に現れるものばかりに気を取られ、安心しきらない。
大人も子ども、常に意識しておきたいと思っています。
居心地の良い関わりをともにつくりあう
最終的な尺度は、居心地の良さですよね。
最近は企業でも、「心理的安全」こそ効率性が高く、イノベーションが起こる条件だと言われるようになってきました。
自分の居心地はよいか?あの子の居心地はよいか?
余裕のある時だからこそ、考えられると素敵ですよね。
そして、居心地のよさは誰かが用意してくれるものではなく、そこにいるみんなで作り上げるもの。
よい学び場は、そこにいる全員で作るものです。